ビーチバレーでダイエットはできるか?浅尾美和のようなスタイルをダイエットで!
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浅尾美和1 1986(昭和61)年2月2日生まれで、三重県鈴鹿市出身。三重県立津商業高校では、1年生時からレフトアタッカーとしてレギュラーを獲得し、「キラ」というコートネームで呼ばれた。この「キラ」というコートネームは、キラキラ輝く選手になるようにという意味で先輩につけてもらったそうだ。なお、浅尾が在学中は、2年連続春高バレー出場した。また、インターハイ・国体には3年連続出場し、3年生の時はキャプテンを務めている。しかしながら、高校卒業後はインドアバレーボール選手ではなく、川合俊一のスカウトを受けて、インドアバレーボール選手からビーチバレーに転向すると同時に、川合が社長を務める芸能事務所・ケイブロスに所属して、競技生活と並行してモデル業及びタレント活動を始めた。ゴールデンタイムのバラエティ番組に水着で登場し、浅尾の知名度だけでなく、人気も飛躍的に上がった。このため、浅尾の出場試合は観客が急増し、それに伴い、浅尾を写真撮影しようとする観客も増えた。なお、タレント活動だけでなく、ファッションモデルやグラビアアイドルとしても活躍、写真集やDVDなどを発売している。その容貌から“ビーチバレーの妖精”とも呼ばれている。
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浅尾美和2 浅尾は、競技生活と並行してモデル業及びタレント活動することで、知名度だけでなく、人気も飛躍的に上がったが、日本ビーチバレー連盟(JBV)は(浅尾以外の選手も含めて)選手の写真がネット上や雑誌などへ無断掲載されるのを防止するためだけでなく、個々の選手肖像権を守ることを主な目的として、2007年度からビーチバレーの試合の個人撮影を禁止している。 なお、2008(平成20)年2月より、ギャランティの配分をめぐりケイブロスとの確執があったという噂があるのだが、いずれにしてもペアを組んでいる西堀健実と共に所属クラブをエスワンへ移籍している。移籍後、新コーチとして、釜山アジア大会金メダリストの渡辺聡を迎え、北京オリンピック代表を目指し世界を転戦したが、出場に必要なFIVB世界ランキングにおいて上位にはるか及ばなかったため、代表権を得られなかったが、北京オリンピック期間中はタレントとしてテレビ中継番組に出演していた。 ちなみに、競技オフィシャル・パートナーは世界62ヶ国で健康食品を販売しているMLM企業のハーバライフ。
浅尾美和3 浅尾は、2008(平成20)年8月から9月にかけて、「大会の冠スポンサーとCM出演スポンサーの業種がバッティングするため」ということと「身内の急病のため」という理由で日本ビーチバレー連盟(JBV)ツアーの第4戦と第5戦を相次いで欠場している。 このツアー欠場に対し、中日スポーツの姉妹紙である「東京中日スポーツ」(トーチュウ)が「親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている」「片田舎のビーチにまで足を運ぶファンのためにも、プロとしての責任を果たすべきではなかったか」と9月6日付けの同紙で浅尾の対応を厳しく批判している。 ところが、8月12日に浅尾の実妹が交通事故に遭い、重体となっていた。一時、容態は持ち直したものの9月5日に亡くなっていたことが判明した。「東京中日スポーツ」のコラム記事と実妹の死を知った世論は、ネット上を中心に「妹の死よりもツアーを優先しろとは人間としてひどい」と逆に「東京中日スポーツ」を批判する意見が続出した。このため、「東京中日スポーツ」は9月10日付けの同紙で謝罪記事を掲載している。
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